【セミリタイア生活と読書】馳星周『神奈備』を読んで

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 ウィキペディアによれば、神奈備(かむなび)とは「神奈備とは、神道において、神霊が宿る御霊代・依り代を擁した領域のこと。または、神代として自然環境を神体とすること。」とのことでした。

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本書のご案内

 本書の著者は、馳星周さんです。
 個人的に、山へのモチベーションを高めるべく、「山岳小説 お勧め」で検索した結果、勧められていたのが本書であり、運良く図書館に置いてあったので読んでみることにしたのでした。

 「神奈備」というワードは今回、初めて知りましたが、上記ウィキペデアの解説を読んでも、前段は何のことだかサッパリ分かりません。
 ただ、後段の「神代として自然環境を神体とすること」については、山岳信仰のように山を神格化し崇めるというものだと思いますし、低山しか登ったことのない私でさえ山には畏敬の念を抱いているので、その点は理解できます。

本書の概要

 本書の舞台は御嶽山(標高3067メートル)で、日本国内で21座しかない3000メートル峰の1つです。
 他の山々と同様、御嶽山にも山岳信仰が強く根付いており、信者が数多くいるのですが、本書でもその山岳信仰、すなわち山には神が宿っているとの思想が根底に流れています。


 主人公の芹沢潤は恭子との母子二人暮しですが、恭子からの愛情を受けた覚えが一切ありません。
 中学生のころ、潤は高校に進学し自転車部に入ってツール・ド・フランスを目指したいと思っていたのに、恭子が三者面談の場で教師に対し「潤は進学させません。働いて、家計を助けてもらわないと」と言い放ち、潤の夢や希望をあっさり断ってしまいます。

 こうして潤は、母からの愛情を受けず、友人も恋人もできず、自分を愛してくれた祖父母(今日この両親)も他界してしまい、10代で既に人生への希望を失っています。

 松本孝も幸せな人生を送っていません。
 山が開かれている期間は強力として働き、閉山時期は自動車修理工場で働いていますが、交際者もおらずひとり寂しい人生を過ごしてきました。

 なお、強力とは登山者の荷物を背負って案内する人のことですが、ときに荷物だけでなく登山者を背負って御嶽山の山頂まで担ぎ上げたりします。

 芹沢恭子は、かつてまだ幼いにも関わらず山岳信仰である御嶽教の講の中座(その身に神を乗り移させる人間)として信者から崇拝されていたのですが、1979年の御嶽噴火を見抜けなかったことで総スカンを食らい挫折してしまいます。
 その後は閑古鳥の鳴くスナックのママとして、誰でも相手にする売女と落ちぶれ、他人はおろか我が子の潤でさえ愛せなくなってしまいました。


 物語は、潤がある決意を持って、極めて悪天候の中で御嶽山の登頂を目指すことから始まります。
 命の危険も十分にあるのに、どうして潤は御嶽山を目指すのか。

 一方、危険な気象状況下の御嶽山に潤が向かったと知った恭子は、金蔓である息子に万が一のことがあってはならぬと、強力である孝に潤の捜索を依頼します。

 拒否する孝に恭子は言い放ちます。
 潤は孝の子だと・・・。


 容赦ない悪天候が潤と孝の命を削る中、潤は目的を果たせるのか、孝は潤を救い出せるのか・・・。

本書の感想

 物心ついたときから父親がおらず、母親は食事も作らず与えるのは菓子パン程度。
 風呂も週に1度しか入れず、友人も彼女もいない小学生、中学生時代。
 そうなると、やはり10代にして絶望しかなく生きる夢も希望も持てないのでしょう。

 それでも・・・「潤の心の中には強い信仰がありました」なら良いのです。
 潤の心に御嶽山に住まう神が常にそばにいて、生きる支えとなっていたら良いのですが、そうでしたか?
 母は御嶽信仰に裏切られ、祖父母も優しい人ですが信仰に厚い人ではなさそう。
 ですから御嶽付近に住む人々と同じ程度の、畏敬の念くらいしかなかった印象を受けました。

 それなのに、既に社会人となっている潤は自分の存在意義を、生きる意味を確かめるべく極めて悪条件の御嶽の山頂を目指します。  

 本当に舞台は御嶽山でなければならなかったのか。
 このボリュームは必然だったのか。
 同じような描写が繰り返されている感じがしたが、もっと凝縮できなかったのか。

 母からの愛情を受けず、友人もいない人生の悲しさ、寂しさがあったとして、命を顧みずに山を目指すのでしょうか。
 山から答えを導けると本当に信じていたのでしょうか。

 そこまで追い込まれていた、若さゆえの脆さ、思慮のなさ、死への憧れ、衝動的行動などで説明できるのでしょうか。

 一方の孝。
 強力という仕事の大変さは理解できた気がします。
 また、信仰の厚い人々を担ぎ上げる孝が神の存在を否定している設定も面白い。

 ただ、孝ってどんな人物なのか。
 誰もが認めるパワフルな強力で信頼を受けているけれど、実は酒にも女にもだらなしない?
 神を否定し、自分の将来を否定し、ただ生きるだけの人生を選んだのは誰?

 最後、不幸ばかりの潤に御嶽山とそこに住まう神々がみせたのは奇跡だったのか。


 本書を読んだ人は皆、納得したのでしょうか。
 私はあまり納得も理解もできませんでした。


 「潤は神に答えを求め過ぎ、孝はメシ食い過ぎ」というのが正直な感想。

 
 我ながら浅い感想ですね。

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